西往寺沿革

西往寺沿革

浄蓮社純誉恵秀上人(天文七年 1538年没)の創建で、開基は1520年頃と思われます。当時は戦乱が続き、開山恵秀上人が死没後衰退の一途であったが、天正十四年(1586年)大木知光がこの地を領することになり、大木家菩提寺となって息を吹き返しました。その後、大木庄右衛門朝貞を大檀那とし、大庄屋小宮善右衛門の肝入りで大蓮社鏡誉上人を中興開山上人として再興されました。

現在住職は、三十九代 南 悦朗。

西往寺の特色

半鐘

現在の堂宇は本堂棟木の墨書名によると「奉造立本堂一宇 造立常然 無量無変 寛政二年(1790年)八月」に再建され、代々大木伯爵家の菩提寺となっていました。

半鐘(写真)は寛文十一年(1671年)九月、十一世廓誉上人のものです。

また、1871年(明治4年)に民部卿、文部卿として、学制を制定した明治の政治家大木喬任ゆかりの寺でもあります。さらに、第二次世界大戦中、陸軍特攻隊となった少年達が最後に宿泊した寺としても知られています。
(詳細は「大木家について」と「陸軍特攻隊の記録」のページへ)

西往寺前景